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札幌地方裁判所 昭和38年(わ)592号 判決 1966年1月26日

被告人 寿原正一 沢田成爾

主文

被告人寿原正一を禁錮一年六月に、

同 沢田成爾を禁錮六月に

各処する。

ただし、この裁判確定の日から、被告人寿原に対し五年間、同沢田に対し三年間、いずれも右各刑の執行を猶予する。

訴訟費用は、これを三分し、その二を被告人寿原の、その一を被告人沢田の各負担とする。

理由

第一当裁判所の認定した事実

一  本件犯行に至る経緯

自由民主党北海道支部連合会(以下「道連」とも略称する)選挙対策本部(以下「選対本部」とも略称する)は、昭和三八年四月二七日施行の北海道議会議員選挙(以下「道議選」とも略称する)に際し、石狩支庁管内選挙区における選挙対策の一環として、同党の公認を受けた立候補予定者たる千葉忠雄を当選せしめるため、同人との公認争いにやぶれた立候補予定者三上秀夫の立候補を辞退させる基本作戦でのぞみ、同年二月中ごろ同人にその辞退を勧告したが、同人は、いまだ立候補の意思を放てきせず、その準備をつずけていた。

この当時、北海道第一区選出の衆議院議員で、道連顧問の肩書を有する被告人寿原は、札幌市南七条西二丁目所在の小村志四男方で、右千葉忠雄およびその後援者辻野武男、大澗一郎らから、三上の立候補を断念させてくれるようにとの依頼こん請を受けたが、前記のごとき道連選対本部の意向を了知していた同被告人はこれを了承し、なお、その際、右千葉らに三上に対するいわゆる断念料の提供方を要請した。

そのころから、被告人寿原は、同年三月はじめころまでの間一、二回にわたり、右小村方などで、三上に対して、次期道議選の際は公認かく得方をとりはからうとともに、これまでについやした経費程度の金銭は断念料として面倒を見てやるからという条件で立候補の辞退を勧告し、その結果、三上も、自己の進退いつさいを同被告人に一任する意向を表明した。

そこで、被告人寿原は、当時右千葉が三上に対する立候補断念料として三〇万円を提供する意思のあることを知つたので、そのおぎないとして、さらに、みずから金五〇万円を用意調達する考えをかためるにおよんだ。

二  罪となるべき事実

かくして、被告人寿原は、昭和三八年三月一六日右千葉の意向を受けて辻野武男が用意した額面金額三〇万円の小切手(昭和三九年押一三九号の一一)と、みずから用意した現金五〇万円とを、いつたん、道連に寄附した形式をとつたのち三上に立候補断念料として贈与するかたちにすることとし、札幌市内グランドホテルにおいて、右事情を了知している道連選対本部事務局次長兼総務部長の地位にあつた被告人沢田にその趣旨のもとに手交しあわせて、三上も立候補断念の意思を表明した。

ここに、被告人両名は、前記千葉忠雄、辻野武雄らと共謀のうえ、前記のごとく石狩支庁管内から道議選に立候補の意思を有していた三上秀夫が右候補者となろうとすることを止めたことに対する報酬として、翌一七日同市北二条西三丁目所在の道連選対本部事務所において、被告人沢田の手から、現金合計八〇万円(前記小切手を現金化したものをふくむ)を三上秀夫に供与したものである。

第二証拠<省略>

第三被告人両名の弁解および弁護人らの主張に対する判断

一  被告人寿原(以下単に「寿原」とも略称する)は、「政治献金として、道連に現金五〇万円を寄附した事実はあるが、本件犯行には一切関与していない」旨弁解し、被告人沢田(以下単に「沢田」とも略称する)は、「前判示の日時場所で三上秀夫に現金八〇万円を手渡したことは認める。しかし、これは、当時道連選対本部事務局次長兼選挙対策委員長であつた中山信一郎からの電話による指示に従つたまでのことであり、判示のごとき趣旨性格の金員であることについては全く関知せず、いわんや寿原らと共謀した事実など身におぼえがない」旨弁解しており、両被告人担当の各弁護人も、右と同趣旨の主張をなし、被告人両名に対しては無罪の言渡があつてしかるべき理由を縷々述べているので以下この点に関する当裁判所の判断の骨子を附加説示する。

二  三上秀夫が立候補を断念した時期について

(一)  弁護人らは、「三上秀夫は、単に公認獲得活動を行なつたに過ぎず、公職選挙法二二三条一項二号にいわゆる『公職の候補者となろうとした者』にあたらない。また、かりにそうでないとしても、三上は、千葉忠雄との間の公認争いに敗れた結果、本件道議選に立候補したところで、その当選を期待することがおよそ不可能にひとしい客観情勢におとしいれられたもので、公認洩れ決定の時点において、立候補を断念したものというべく、おそくとも、昭和三八年一月一〇日頃、三上の後援者として最も近しい関係にあつた立石守義と情勢分析を行なつたすえ、立候補断念の意思を固めるに至つたのであつて、その後における三上の言動の一部に、一見無所属ででも立候補するかのごときものが存したとしても、それは、たかだか一種のゼスチユアの域を出ないものと評価すべきである」旨主張している。

(二)  そこで、まず、公職選挙法二二三条一項二号にいう「公職の候補者となろうとすることを止めたこと」の意義について考察するに、いまだ立候補していないが、場合によつては、立候補するかもしれない意思を有していると客観的に認められる者が、何らかの動機によつて、立候補の意思を放棄したことを指称するものと解すべきである。

さらに、前記公職選挙法二二三条一項二号に該当する犯罪(以下「本罪」とも略称)の成立要件としては、公職の候補者となろうとしていた者の立候補断念の動機が金銭の授受等と関係のあることはかならずしも必要でなく、金銭授受等と無関係な自己の意思で断念していたものについても、立候補を断念したことの報酬として金銭供与等の行為がなされたことをもつて足りると解するのを相当とする(大審院昭和八年一二月一一日判決、刑集一二巻二三三〇頁参照)

(三)  叙上の見地に立つて本件を考えるに、三上秀夫は単に公認獲得活動を行なつたのみで、「公職の候補者となろうとした者」にあたらない旨の弁護人の主張は到底採用にあたいしない。けだし、所論は、いわゆる「選挙運動」なる概念の中に立候補準備行為が含まれないという見解を本罪の成立要件に関する解釈に推及しているものと考えられるが、本罪においては、「選挙運動を止めたことの報酬とする目的をもつて」なされた金銭供与等の買収行為を処罰の対象としているのではなく(かような行為については、別途に、公職選挙法二二一条一項三号がこれを規制している)、まさしく、立候補準備行為を行なつていた者が立候補を断念したことの報酬たる趣旨で一定の買収行為をなすことをその構成要件としているのであるから、論旨は、主張自体理由がないものというほかはない(ちなみに、公認獲得活動が立候補準備行為の典型的代表であることは、多くを述べるまでもなかろう)。

一方、弁護人らが力説する立候補断念の時期ないし金員の授受と立候補断念との因果関係の存否如何の問題も、先に説示したところから明らかなように、直接には、本罪の成否に消長を及ぼすものではなく、本件でその趣旨・性格が争われている現金八〇万円が「報酬」性を帯びているか否か、授受の当事者間において、その「報酬」性につきどのような認識をもつていたか等の事実認定にあたり、間接事実のひとつとして重要な比重を占めるにすぎない。

(四)  ところで、かような観点のもとに、本件の証拠関係を検討すると、いみじくも、寿原自身、当公判廷で認めているように昭和三八年二月中旬頃三上秀夫が衆議院議員中川一郎の紹介状をもつて、小村志四男方に滞在中の寿原のもとを訪ね、「私は非公認になつたけれども皆がやれやれと言うから、やりたい」という趣旨の意向を述べたこと、その際、寿原が党人として党に尽くすべきことを説得したところ、三上は「一人では決め兼ねる。また参ります」旨の言葉を残して帰去したこと、これと相前後して、千葉忠雄がその後援者と共に同じく小村方に寿原を訪ね、「三上が立つとか立たんとかの問題を言つており、党がこのまま放任しておくのは怪しからぬ。こういう事ならおれらはやめる」旨かなり激しい口調で毒づいたことの一事をもつてしても、弁護人ら主張のごとく、少なくとも、昭和三八年一月一〇日頃の時点において、すでに三上が立候補を断念していたものと解しえないことは明らかである。弁護人らは、右のごとき三上の言動を目して、単なるゼスチユアにすぎないと主張するが、当時の三上の心中に弁護人らの主張するような何らかの他意がまつたく皆無であつたとまでは言い切れないにしても、一応外形的な言動にあらわれた限りにおいて、三上との応待・説得にあたつた寿原の態度は真面目なものであり、現に、当面最も三上と利害関係のうえで相対立する立場にあつた千葉忠雄が、ひとしく自民党に属する国会議員で道連顧問の地位にある寿原に対して、一道議候補の身でありながら、前記のようにはげしい抗議を申し立てていること自体、その頃においてもなお、三上がたとえ非公認であろうと立候補する意思を有していたと客観的に認められる情況の存した事実を雄弁に物語つているものといわなければならない。

(五)  ちなみに、弁護人らは、三上は自民党の公認洩れとなつたことの結果、たとえ立候補しても、事実上当選を期待することがほぼ絶望的であつたことを論拠に、同人の立候補断念の時期が非公認確定の頃であつたと主張しているけれども、前掲各証拠によつて認められるように、三上は、昭和三四年四月施行の道議選に際し協同党の公認候補として石狩支庁管内から出馬し、主に農村を地盤として、約五、七〇〇票を得票していること、同人の地方政界進出の野心は相当に根強く、右三四年の道議選に落選した後も、かなり多額の借財を背負うほどの経済的犠性を忍びながら相当長期間にわたつて本件道議選を目標としての立候補準備活動を展開してきたこと、それだけに公認獲得の期待を裏切られたことによる精神的打撃も痛烈であつたこと、しかし、非公認の身とはいえ、このまま本件道議選での出馬を断念することは、将来の再起を期する同人にとつて大きな空白期間を作ることになるとの懸念をぬぐい切れなかつたこと、事実、前説示のように、千葉忠雄およびその後援者らが三上の動静にかなりの不安を抱き、三上が非公認の不利をおかしつつも立候補した場合千葉の得票に与えるであろう影響を相当重視していたと窺われること等一連の事実にかんがみると、三上自身にとつては、公認を得られなかつたことによりその当選への見込みが大きく退歩したとはいえ、将来の政治的活動の足がかりを築くためには、ある程度当落についての成算を抜きにしても、約四年近い長期間にわたり多大の経済的犠性を払つてまで立候補の準備を進めてきた労苦を無に帰せしめることに強い躊躇を感じたであろうことは察するに難くなく、したがつて、当選の可能性が遠去かつたことから直ちにこれを立候補断念の論拠とする弁護人らの所論は即断のそしりをまぬがれないものというほかない。

三  本件八〇万円の趣旨と被告人両名の知情の有無について

(一)  本件において、前判示の日時場所で、沢田から三上に手渡された現金八〇万円の支出源が五〇万円については昭和三八年三月一六日グランドホテルの一室にて弁護人らのいわゆる政治献金名義で寿原から道連幹部(それが沢田、中山のいずれであるかはさておき)に手交されたものであり、三〇万円については同日辻野が用意した額面三〇万円の小切手を現金化したものであることは、証拠上明白である。

(二)  ところで、右五〇万円が果して弁護人ら主張のような政治献金(道連に対する寄附金)であるか否かについて検討すると

(1)  三上秀夫の後援者として、同人と最も近しい立場にあつた立石守義および石畑俊雄の当公判廷における各証言によれば、昭和三八年三月上旬三上、立石、石畑の三名が小村方に寿原を訪ねた際、寿原の口から三上に対し、「二人が争うということは共倒れになるのだから、君はまだ年令も若いことであるし、一期間休んでくれ。今回は道連のためにひとつ尽力して、実績をつけ次回は公認になるよう努力したらいいのではないか。そうした場合には、自分も、それに対して、或る程度の援助をしてやる。君も今までいろいろ運動をやり、金も使つたことだろうし、大変だから、今後いろいろ協力してやる」旨を語つたこと、さらに、その帰路、三上が立石らに「大体三〇万か五〇万ぐらいもらえるんじやないかな」ともらしたことが認められ、

(2)  一方、千葉忠雄派の後援者である辻野武男、神田義光の当公判廷における各証言によると、昭和三八年二月千葉、神田、辻野および大澗一郎の四名が小村方に寿原を訪ねた際、千葉側の方から、三上の去就が明確でないので、その調整方を依頼したところ、寿原の口から、「三上もいろいろ経費をかけていること故ただ退くといつても面倒だ。千葉にそれだけの金があるか」という趣旨の発言のあつたことが認められ、

右各事実を対比勘案するのみでも、寿原が、千葉派に対しては三上の立候補という事態が起こらないように調整の労をとつてやる意向を口約すると同時に、三上派には、断念料の提供を条件に立候補の意思を翻えすよう勧告したことを窺わせるに十分である。ちなみに、右二月の千葉派と寿原との会談の席上、三上が相当費用をつかつている旨の話題が出たこと、千葉の口から一家が焼けたと思つてあきらめる」旨の発言のあつたことは、いずれも、関係各証人の供述を通じて一致するところであるが、この二つの話題の間にいかなる結びつきが存するかにつき、各証人とも合理的な説明をなしえないままに終つていることは、心証形成上、きわめて留意を要するものというべきである。弁護人らは、この際の千葉派の寿原訪問の目的につき、道連が同じく石狩支庁管内から立候補している森春一の側に厚い支援的行動に出ながら、新人候補の千葉忠雄の側に冷淡であることに関して、その支援行動の調整方を陳情に行つたのが真相であると主張しているが、他方、弁護人らは、寿原は、本件道議選にあたつて選挙対策の決定やその作戦の展開に参加させられず、単なる道連の一顧問として、いわばつんぼ座敷にまつりあげられていたとも主張している。この主張が相互に矛盾することは、主張内容それ自体を比較するのみでも明白であるが、もし、寿原が弁護人ら主張のように本件道議選の選挙作戦の展開等にほぼ無関係と言つてもよい立場にあつたのであれば、前記のごとき道連の支援行動に関連した陳情に対しては、その種の問題についての責任者である道連のしかるべき幹部に口ききの労をとつてやるのが本筋であるのに、かような措置に出た事跡はまつたく認められず、はしなくも、弁護側の主張の自己矛盾が如実に露呈されたものというほかない。

さらに、本件金員の性格を把握するうえできわめて重要な物証として、前掲各証拠中の「金銭出納メモ」およびこれを浄書した「地方選挙別口支出内訳」と題するメモ(いわゆる小村メモ)を挙げなければならない。右メモの三月一六日の欄には、「三上秀雄五〇万円」なる記載があるが、右メモは、寿原から預つた金銭の収支状況を小村が克明に記録したもので、小村自ら、当公判廷で、右三上に関する項目以外については、そこに記帖されている金額の出先につきすべて一応の自信ある説明が可能である旨証言しているのであるから、その記帖内容は、高度の信頼に値いするものと考えられる。しかるに、小村は、当公判廷の証人尋問に際し、右三上についての欄に関してのみ、何故か、その几帳面な性格にも似合わず、真実の出金先を十分確知しないまま、不確かな推測に依拠して記載した旨答えているが、かように苦しい弁明をしなければならないことこそ、本事案の真相の一端を伝えているものと断じてよいであろう。

(三)  なお、本件八〇万円が「政治献金」なる偽装のもとに、真実は三上に対する立候補断念料であつたことおよび沢田がその間の事情を了知していたことは昭和三八年三月一七日当時道連事務局総務部の会計担当者であつた竹下正晃の検察官に対する供述調書中「三月一七日の午前、沢田から、電話で道連の領収証を発行して欲しいので、選対本部へ来てくれと頼まれ、領収書用紙と幹事長印を持つて選対本部に出かけた。すると、沢田は、『ここに金が来ているので三〇万と五〇万の領収証を切つてくれ』と言つたので、早速沢田の机の前で五〇万円と三〇万円の領収証を三月一七日付にして道連幹事長岩本政一名義で作つた。しかし、その領収証記載の金は渡されなかつたし、道連の収入簿にも記帳していない」旨の供述記載からも推認するにかたくない。すわなちいわば、一種の架空領収証を作成してまで政治献金がなされたかのごとき形式を整えた事実こそ、弁護人らの主張や寿原、沢田両名の弁解の採用できない所以を端的に示している。

(四)  その他、弁護人らの主張にそう趣旨の証言ないし被告人らの弁解には、前後矛盾するところや不自然、不合理な部分が随所に散見されるが、最後に、沢田が本件で検察官の取調を受けた際、真実は中山信一郎から現金五〇万円と三〇万円の小切手を受け取り、三上に渡したのも中山の指示に従つてのことであつたが当時中山の名を伏せこれを寿原におきかえて虚偽の供述をした旨述べている点について一言する。沢田は、かかる虚偽の供述をしたのは、昭和三八年四月の統一地方選挙において、道連選対策委員長として重要なポストにあつた中山の名を出すと、捜査の手が党本部ひいては知事選挙の内情にも波及する原因となりかねないことを慮つたからであると述べているが、沢田の検察官調書によれば、三月一六日グランドホテルからの帰り道、中山との間で「明日この八〇万円を三上に渡そう。これで懸案も解決した」等と話し合つた旨、中山をして本件の共犯と疑わせるに十分な供述を大胆にも行なつているのであつて、このことにてらしても、ことさら中山と寿原とをすりかえた旨の当公判廷における沢田の供述がこじつけの弁明というほかないことは多くを言うまでもない。

第四法令の適用

法律にてらすと、被告人両名の判示所為は、ともに、公職選挙法二二三条一項二号、刑法六〇条に該当するので、被告人両名につき、いずれも、その所定刑中禁錮刑を選択した刑期の範囲内で、被告人寿原正一を禁錮一年六月に、同沢田成爾を禁錮六月に各処し、なお、同法二五条一項にしたがい、この裁判確定の日から、被告人寿原に対しては五年間、同沢田に対しては三年間、それぞれ右各刑の執行を猶予するとともに、訴訟費用の負担につき刑訴一八一条一項本文を適用して、主文のとおり定める。

第五量刑の事情

本件は、いわゆる立候補予定者買収事犯であつて、直接には立候補の自由を、間接には選挙の公明を、金銭の力で侵害したもので、その社会的影響は到底無視することを許されぬ悪質な案件というべきである。

中でも、被告人寿原は、前判示の如く、千葉忠雄及びその後援者と三上秀夫の仲立ち役を演じ、三上をして、金銭の提供を条件にその立候補を断念せしめるに至り、自ら金五〇万円という多額の現金を右断念の対価として供与したものであつて、その犯情は頗る重いものがあると評するほかないが、かような一連の行為が現職の衆議院議員として、道内政界に重きを占める立場を背景になされた点は、凡そ、多数善良な選挙民の貴重な支持のもとに国会に送り出された選良の一員の名を汚すも甚しいものと言うも過言ではあるまい。

たしかに、本件犯行に及ぶ一連の経過を観察すると、当初は、千葉派に属する人たちの可成り強硬な陳情活動によつて、被告人寿原を判示買収行為にかり立てた点を窺い知ることができると共に、当時の道連選対本部の幹部たちが陰に陽に舞台裏の工作を進めたのではないかと推測される余地なしとせず、とくに、判示中山信一郎の行動には幾多の部分で疑問をさし狭むところが多いことは事実であるが、判示認定の如く、本件犯行の主謀者が被告人寿原であり、かつ、同被告人が、あえて本事犯の主犯的地位を買つて出た遠因のひとつに、判示犯行の頃既に衆議院議員の総選挙が予想される情況にあり、その際の自己の立場を利するため、道連に恩を売つておきたいとの考えが潜在していたふしの察知されることに留意を要する。

一方、被告人沢田は、時たまたま道連選対本部事務局次長の地位にあつた関係上、なかば心ならずも本件の共犯者にひき入れられたものと考えられる点が少なくなく、元来党人政治家でないこともあつて、甚だ損な役割を引き受けさせられるに至つたと認められる事情が散見され、被告人寿原に比較すると、犯行の動機、これに関与した程度等その犯情に憫量すべきところが多いことを是認するに吝かではない。しかし、ともかく、その情を了知しつつ、本犯行に加担した責任は決して軽いものではなく、禁錮刑選択もやむなしと考える。

そこで、主文のとおり判決する。

(裁判官 辻三雄 角谷三千夫 猪瀬俊雄)

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